「如月小春さんに感謝をこめて」         池田 はじめ

僕の演劇は如月小春さんの話を聞いた時に始まったと思っている。
あの頃、僕は酒田市文化センターの料理教室に通っていた。(バイ
トで2年間、スパゲティ屋で働き、そこのコックさんに料理の楽し
さを教わったため)年に一回、講師を呼んで話を聞くのだが、その
時に候補にあがった講師の日程が全て合わず、運良く僕が推した如
月小春さんに決まった。
「花子さんいってらっしゃい」という本を偶然読んで、なぜか話を
聞きたくなった。その頃、僕は、毎日、ほぼ家と職場を往復し、土
日には職場の人と徹夜で麻雀をしていた。金太郎飴のような日々だ
った。講演当日、僕は司会で舞台袖にいた。
「私は何か表現しないと生きていけない。複雑で奇妙でわからない
だからこそ魅力があるそんな人間のことを私は演劇で表現したい。
誰かに自分を見せるために表現があるのではなく、誰かとつながる
ために表現はある。一番大切なことは、良いところも悪いひっくる
めて自分を肯定することなんだよ」と如月さんはいった。

舞台の袖に立つ僕の胸の奥で何かが砕ける音がした。

その頃、僕は切なくなるほど、好きな人がいて、その人と一緒にい
るためなら、何でも我慢しょうと思っていた。彼女の世界では、音
楽や演劇はたいした価値を持っていなかった。僕は彼女の世界での
価値を得るため、自分の中の何かを犠牲にする必要があったのだ。
しかし、その時、わかった。僕も表現しないと生きていけない人種
なのだということが。ご飯を食べないと死んでしまうのと同じよう
に「表現」しないと死んでしまう人種がいる。だから、感じたよう
にやってみるしかなかったのだ。
 次の年、僕は回りの人たちを巻き込んで、無謀にも1000人規
模の野外コンサートを主催する。そして案の定一晩で100万円以
上の赤字を背負うことになる。そのイベントでイベントのことは全
て学んだ。それから、ミュヒャエル・エンデのような児童文学者に
なろうと思い、その修行のために演劇を書くようになった。
誰かに自分を見せるために表現があるのではなく、誰かとつながる
ために表現はある。それが、僕の演劇の原点だ。
多分、僕は人とつながることが上手ではなかったのだ。だからこそ
、コミュニケーションとしての演劇をめざしている。池に小さな石
を投げその波の波紋が広がっていくように縁(えにし)が連なって
きたように思う。そして、今、僕はここにいる。その小さな石を投
げ込んでくれたのはあなただった。

さようなら、如月さん。そしてありがとう。

池田 はじめ